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落ちていく話

創作供養

(たしか文芸誌に出した文章です。少しだけ直しました。元ネタは児童書(ペギー・スーだったか))

 

 

 

 

 

 

彼女の手をとって、飛び降りた。長い落下の始まりだった。

 

 

 わたしたちの生活する世界では、一定年齢に達した人に義務が課せられる。それは、街の中心にある大きな大きな穴へ、誰かと二人で飛び降りること。なぜかは知らないけれど、そういうものだった。嬉しいことがあったら笑う、それと同じくらいわたしたちには当たり前のことだった。穴はどれほど深いのかもわからない。落ちた人は数え切れないほどいるものの、そこから戻ってきた人はいないから仕方ない。

わたしは普通の、それこそただの一般人で、周りと同じように普通に生きている。学校を卒業して、可もなく不可もないところに就職して、彼女ができて、子供ができて、家族ができた。彼女ができたのは、すでに両親は飛び降りた後だった。

地表で過ごす最後の誕生日、わたしは彼女に盛大に祝われた。ほがらかな子供の笑顔に少し泣かされた。彼女の誕生日にも同じように祝い返した。彼女はぼろぼろ泣いた。もっとあなたたちと一緒にいたいけど、もうすぐお別れだ、と鼻声で子供に伝えていた。子供も真剣な顔で聞いていた。飛び降りる日まで、あと数ヶ月のときのことだ。わたしたちは身の回りの私物を捨てはじめた。身辺整理だ。それから周りの友人へ、後輩へ、挨拶をすませ、ちょっと素敵なところで食事なんかして、最後は少し真面目に締めくくって、そんなことを繰り返して、残りの数ヶ月をゆっくりと、噛みしめて、味わって、消化した。

 

 

 

当日は穴の周りに大行列ができた。同級生があちこちにいる。同じ年の人なんてせいぜい数百人しかいないので学校が違う人でもだいたいの顔は覚えていた。この人たちもみんな飛び降りるのか。と妙な連帯感に襲われた。国のお偉いさんが(それでも僕らと同い年だ)最後にマイクを持って叫ぶ。

「諸君、今まで素晴らしい人生を過ごしたことだろう。我々はよく働いたしよく学びもしたしよく遊びもした。楽しくも忙しい生活は今日で最後となるが、地表を離れても素敵な人生となりますよう!わたしも心から祈っている!」

非常に短い演説の後、彼はまっさきに夫人と共に飛び降りた。他の人達も後に続くようにして順番に飛び降りていく。一部の、一緒にいく相手が見つからない人、あるいは病気の重い人を除いて、地表からわたしと同じ年齢の人はいなくなるのだ。地表に残される人たちは羨ましそうにこちらを眺めていた。順番がまわってくるまでのあいだ、まるで処刑を待つような気分で、わたしは落ち着かずにいた。彼女がそれに気づいてか、わたしの冷たくなった手を強く握った。その手がしっとり汗ばんでいるのを感じた。彼女もおそらくわたしと同じようなことを感じているのだろう。

「×××××様、○○○○○様、順番です。お手をつないだままで、さあ、どうぞ。」

年下の役員の声は硬い。感情を押し殺した声だ。近い未来、自分もこうなるのだから複雑な心境だろう。わたしは思い切って彼女の手をとって、頷いて、そして飛び降りた。

 

  

 

落下し始めて、もうどれだけ経ったことだろう。一時間か、半日か、もしかしたら10分か。穴の縁もよく見えない。身を切る空気がじめじめとしてきた。他に落ちていく人たちの様子を見ると、共に落ちゆく人と思い出話をしたり、言葉遊びをしたり、他のペアを交えて歌ったり、様々だ。わたしは彼女の方を見る。彼女はぼんやりとした顔で言う。

「いつまで、落ち続けるのかしら。」

「そりゃあ、死ぬまでだろう。」

「いつ穴底にたどり着くかわからないんじゃあ、楽しく話をしていたら突然ぐしゃ、……ってことがあり得るのよね。やっぱり、わかってはいても怖いわ。」

「飛び降りたくなかった?」

「まあ、そうね。」

素直な彼女の言葉に笑った。地表でおおっぴらにこんなことを言ったら誰に叱られるかわからない。飛び降りは、当たり前のことだ。降りないほうがどうかしていると言われてしまうだろう。

「きっと誰もが心の底ではそう思ってるわよ。言い出せないだけで。だって、こんなの自殺じゃない。」

「でも、誰かがやたらと長生きして若い人の邪魔をすることもないよ。世代はどんどん変わるほうが、世の中きっと進歩していくさ。流水は腐らないじゃないか。」

「そうだけどね、なんだか、納得出来ないの。わたしは長生きして、自分の子供が大人になる姿を見届けたかった。」

「まあ、僕だってそうだけど、ね。でも落ちてしまったんだし、何を言ったってもうね。それに、怖くてもやらなきゃいけないことっていうのが、大人にはあるのさ。」

「……そうね。」

彼女は口を閉ざした。わたしはいつ終わるか分からないこの落下について思いを馳せつつ、彼女のもう片方の手をとって、繋ぎ直した。もう次の瞬間死んでいるのだろうか。それとも案外長い間落ち続けるのかもしれない。

 

 

 

数十時間と思える時間を、彼女とどうでもいい話や、秘密の打ち明け合いや、昔の話をすることで過ごしてきた。この頃には、だんだん周囲の落下する人たちの表情が暗いものになっていた。体をろくに動かしていないせいか、実はそれほど時間が経っていないのか、いずれにせよ空腹感や排泄欲というものは不思議となかった。周りの人もそうだと思う。しかし、逆に寝ることくらいしか三大欲求で満たせることがないうえ、それ以外にできることなど話すことくらいなので、だんだんと憂鬱になっていくのは仕方ないような気もした。わたしと彼女は元々話し好きだったせいか、子供ができてから仕事が忙しくて会える時間が少なかったせいか、そこまで塞ぎこむことはなかったのだが。

 

 

 

さらに時間が経つ。周りから聞こえていた声はだんだんと聞こえなくなっていく。少し上のほうで落ちていたペアは、始めはにこやかに談笑していたのに、やがて揉めるような会話を繰り広げた後、唐突に静かになった。わたしの右手側で落ちていたペアは、落ち始めからずっと、延々と学術的な議論を続けていた。足元のペアは、お互い持参していた薬のようなものを飲んで、それから動かない。あるペアは気が緩んできたのか、自分達の犯罪自慢を大声で始め、あるペアは二人して寝ている間に繋いでいた手が解け、少しずつ離れていった。まるで世界の終わりみたいだね。わたしがそう言うと、彼女は、この世界は少なくとも終わり始めてるわね。と冷めた声で返した。彼女は落ちている現状を話題にされることはあまり好きでは無いようだった。

 

 

 そして、また時間が経って、すっかり地表とはうってかわった空間になった。話すことに疲れた人、既に何らかの方法で互いの命を絶った人、逆にアッパー系の薬をキメてハイテンションで訳の分からない会話をしながら笑いあう人、様々だった。確かにこれは世紀末もいいところだ。こんなことをする意味なんかないのにね。と小馬鹿にしたように笑う彼女の気持ちが心の底から理解できた。わたしたちは、妙にリアリストな彼女のおかげかもしれないが、意外と心も折れず、ゆったりと落ち続けることが出来ていた。いつ死ぬかわからないという恐怖も、ここまで落ち続けていると薄れてきてしまう。いつ死ぬかわからないのは、地表でもここでも同じことだ。必ず死ぬとわかってはいるが、それも地表でもここでも同じことだ。

「できないことが多いね」

わたしは思いついたことがあって、ふと彼女に話しかけてみた。

「できないことが多いってことは、裏返せば、できることに専念できるということだよね。それって、ある意味いい余生なのかもしれないね。」

「なんで?」

「だって、死ぬまでにやることがいっぱいあったら、どれもしっかり済ませられないじゃないか。わたしたちにできることはせいぜい会話だけだけど、心ゆくまで、終わるまでずっと話し続けることが出来る。」

「……そうね、それはあるかもね、こんなにゆっくり話せることなんてなかった。」

「だから、もっと沢山話がしたいかな。」

彼女は珍しいことにちょっと照れたような顔をして、いいよ、と優し目の声で返してくれた。世紀末の如く荒れていく世界ではあるけれど、わたしたちの小さな世界は極めて平和に、続いていた。彼女の見た夢の話を聞きながら、わたしは彼女の手を優しく握り直した。わたしたちはまだ落ちていく。