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この映画も夢?――映画「パプリカ」を見ました

先日、今敏監督のアニメ映画「パプリカ」をDVDで見ました。今敏が作っていると初めて認知した作品は妄想代理人ですが(未視聴)、パプリカという作品名とそのビジュアルは、確か中学生くらいのときに買っていたアニメ雑誌でちらりと見たと思います。見たいなあと思いつつ今まで渋っていたのは、正直なんか不気味そうだったから……。


パプリカ(アニメ映画) 予告編

↑予告編。小さい頃に見たらちょっと夢に出そうだ。

 

当時に比べたらかなり不気味耐性もついてきたことだし、暇だし、気になってたし、何より夢の世界が題材というのは面白そうじゃないですか? ということで。

 さて、パプリカのあらすじですが

パプリカ/千葉敦子は、時田浩作の発明した夢を共有する装置DCミニを使用するサイコセラピスト。ある日、そのDCミニが研究所から盗まれてしまい、それを悪用して他人の夢に強制介入し、悪夢を見せ精神を崩壊させる事件が発生するようになる。敦子達は犯人の正体・目的、そして終わり無き悪夢から抜け出す方法を探る。

(Wikipediaより引用)

みたいな話です。

他人の夢のなかに自分も入ることができる、そんな装置がある日盗まれてしまう。犯人は装置を利用して様々な人に「悪夢」を共有し、その人を夢と現実の区別がつかなくなる=発狂させていく。そんな悪用事件に対し、今まで装置を活用して人の精神を治療してきていた「千葉敦子」またの名を「パプリカ(夢の中の人格)」がどう立ち向かっていくか? という話です。

ちなみに筒井康隆原作で元は小説です(が、読んだことはないです)。あとあらすじだと大規模で壮大なストーリーっぽさがありますが、関わる人間は意外と少人数でした。

 

 

 

※以下見たこと前提の感想です。さらりと。

 

 

 

 

 

夢を再描写したり創作に盛り込んだりするのって結構難しくないですか?  創作しない人でも、夢日記とかつけてみるとなんだか上手くいかない、という感覚が得られると思います。夢って人間的な様々のルールが取っ払われている(しかもルールがどんどん変化していく)、それもあってあんなにしっちゃかめっちゃかになるんでしょうが、これを再構築するのってだからこそ難しい。

しかしながら「パプリカ」はそれが上手い。こんな内容の夢見たことある人はまあそうそういないよね、って話ですけど、でも「あ~~わかる!」と膝を叩きたくなる、ような夢。特に感覚としてわかりやすいのは、悪夢を共有させられて発狂した人たちの「なんだかよくわからない言葉の羅列」です。序盤で出てくるあの

 蛙たちの笛や太鼓にあわせて、回収中の不燃ごみが後から後から吹き出してくるさまは圧巻で、まるでコンピュータグラフィックスなんだそれが!総天然色の青春グラフィティーの一億総プチブルを私が許さないことぐらい、オセアニアじゃ常識なんだよ!さぁ!今こそ青空に向かって凱旋だ!絢爛たる紙ふぶきは鳥居をくぐり、周波数を同じくするポストと冷蔵庫は先鋒を司れ!

 とか。文章として意味は全くつかめないけど、破綻はしていない。こういうの夢っぽくないですか? あとは敦子がうっかり飛び降りかけるところとか。私はよく夢の中で叫ぶと現実でも声を出してて自分の声で起きる、ということがあるので、なんだかこの感覚は似ているなと思いました。

あと、パプリカが夢を上手く乗りこなしている様子を見ていると、明晰夢で自由自在に夢を操るのもこんな感じなのかな、と思います。クジラに飲み込まれた、次の瞬間ピノキオになって脱出! とか、まさに乗りこなすという言葉がぴったり。

夢の、当事者でいる間は違和感がないのに、起きて俯瞰してみると意味の分からないものになっている、ああいう雰囲気って自動文章生成botに似たものがあります。私はこういう例としていつもしゅうまい君を挙げています。長文になるとわかりやすいんですけど、「なんだかよくわからない言葉の羅列」になることが多い。パプリカ内の発狂文章になんとなく似ている。

この「なんだかよくわからない言葉の羅列」は一般の様々な文章を元にして、形態素解析(パーツ分け)+マルコフ連鎖(パーツの再構築)によってできていることが多いように感じています。少なくともしゅうまい君はそれ。確率過程に詳しくないので間違えたことを言っているとは思いますが、マルコフ連鎖って「今」だけを見て「次」にどれを持ってくるか決める操作だと理解していて、多分夢もそうなんだと思うんですね。「今」起きていることから「次」の展開が決められていくけれど、「今」しか見ていないから全体を見たときに破綻しがち。

夢に対してこういう持論(?)があったんですけど、パプリカを見てそれがまた補強されたなと感じました。

 

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パプリカではあらすじすら見ていない状態で視聴したらおいていかれること間違い無し、の非論理的ストーリーがこれでもかと展開されます。

中盤まではまだ夢と現実の区別を(視聴者には)つけやすくしてくれてるんですけど、それ以降は夢、と思いきや目覚めたから現実、と思いきやまだ夢で目覚めたのも夢の出来事、……と境がぼやけていってもう、初見で区別つけるのは無理。夢と現実が混合していくあたりで混乱して、なんだかよくわからない、気づいたら問題が解決している。

整合性にあまりこだわらず、そのときそのとき起きていくことを見て、感じたことを後で噛み直すように見ていくと面白いです。つまり「感じること」に重点を置いて見る。夢を見るときと同じで「整合性にこだわること」はあまり意味はないように感じました。

  

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ほとんどネタバレ無しの状態で見ていると、話が進行するにつれてDCミニが「行き過ぎた技術」のように見えてきてしまい、理事長の言うことも一理あると感じてきてしまう。もう少し昔に見ていれば、主人公(敦子達)サイドが正しいと信じつつ展開を追えていたと、おそらく思うんですけど……。時田のピュアな研究への姿勢にも素直に共感できない部分もあり(ここは敦子も若干そうではありましたが)。マッドサイエンティストに見えてくるというか。

だから、結局理事長側が黒幕かよ!  って気づいたとき苦い気持ちになりました。といっても、理事長明らかに怪しげな空気を漂わせてたので、こんなわかりやすい展開がなぜわからなかったんだ!  とは思うんですが。正直途中までは理事長サイドの意見を支持しながら見ていたので、頭を殴られるようなショックを受けてちょっと反省してしまった。

理事長サイドといえば、パプリカで個人的に美味しかったキャラは小山内君でした。匂わせホモ設定とかが良かったとかそういうわけではなくて(ほんとです)、どこまでも可哀想なところは結構共感しやすかった。

今敏氏はパプリカ公式ブログで小山内君を痛烈に批判している、というか小山内君に対してそれはもう厳しいわけですが、しかしある意味で「何者にもなれなかった」人にとって一番共感しうるのは小山内君だと思います。世知辛い。キャラの確立した(能力がある)人たちに囲まれている半端なエリートほど自尊心に悪いものもそうそうない。

小山内君が出てきたシーンで、蝶として捕らえたパプリカの皮をべろっと剥いちゃうところがありましたが、私はあのシーンがパプリカで一番好きかもしれない。敦子の出し方として演出がクールだし、小山内君の心のどろどろしたものが声によく現れていて好きでした。山ちゃんはほんと、ほんとにすごいアクターですねえ……。圧倒されました。ただあのシーンはあんまり身内と見たくないですね。背徳感がすごいからw

 

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余談ですが、視聴前、映画好きの知り合いに「パプリカが気になっている」と言ったところ「インセプションも好きだろうから見たほうがいい」と言われたのでそのうち見たいと思います。アニメなどの長尺より、映画くらいのまとまった時間のほうが夢をテーマに膨らませていきやすいのかなとも思ったり。